Ari's Blog

Reading makes me rich !

法住寺

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前の投稿でなぜここ法住寺に来ることになったのか?を書いた。そして実際にやって来た。道を挟んだ向かいは三十三間堂、隣は血天井で有名(らしい)な養源院。ちょうど 12:00 くらいかもう少し前くらいに着いたが、ここの入り口は誰も入っていかない、人気がない。これは期待持てる!

入ってみると、他には人がいないので、どこが写経の受付なのか?全然わからなかった。上の写真の本堂に近づくと中から「どうぞ中に入ってお参りください」と声をかけられた。そして中に入って「あの…写経したいんですけど…」と言うと、「はいはい」と案内してくれた。1,500 円を本堂に入って左手の事務所的な場所で払ったら「どうぞ中にお上がりになってお参りください」と再び。なんだかお寺の中にずいずいと入ったことがなかったので、「本当にここ上がっていいの?」と思いつつも、入って正面の不動明王像にお線香を1本立ててお参りする。続けて「こちらへどうぞ」と別のお堂に通された。

奥のお堂は阿弥陀如来像が祀られていた。このお堂で庭を愛でながら写経をすることになる。まずはこの阿弥陀様をお参りして体を清めてから写経する。

  1. 静かに手を合わせて拝む
  2. お線香の元を右手の人差し指と中指に付けて、左手の手のひらで回し、それを全身に付ける。
  3. 右手の人差指と中指を下唇につける
  4. 再び静かに手を合わせて拝む

これで体の中、外共に清められたことのなるらしい。

さて、いよいよ写経をする。般若心経が書いてある台紙の上に半紙が乗せてあり、それを文鎮で押さえてある。般若心経を写し、最後に「為」の下に「願い」を書き、写経した日付、住所、名前、最後に「謹書」と書いて台紙と共に本堂へ持っていく。さぁ、始まり。

IMG_4390

参拝客もいない、写経しているのも私一人。ただ一人庭を目の前に写経する。願っていた通りの最高のシチュエーション。写経を始める前に座ったところから見えるお庭をパシャリ。

楓が見事に色づいていた。身の清め方や写経の仕方を教えるために案内してくれた人が「今年は遅くてねぇ、見事に色づいていますよ」と。ちなみに、案内してくれた人は黒木瞳に似たものすごく落ち着いた大人な美人だった。柔らかな京都弁にも心撃ちぬかれそうだった。冗談はさておき、いよいよ写経。深呼吸をして iPhone の電源を切って筆を持つ。

本物の筆で書くのはいったい何十年ぶりなんだろうか?高校の書道の時間以来ではないだろうか?最初は手が震えた。なんで緊張してんの自分?と思うほど緊張して手が震えた。最初は一字書くのにも何度も墨を付けたり、一字ごとに深呼吸していた。「これでは字じゃない。自分の字じゃない。なぞっているだけだ。これは思っていた写経じゃない」と思った。何度も深呼吸して足の親指と親指を重ねてグッと背筋を伸ばして正座する。そして「リズム」を大切に字を書き始める。不思議と手の震えは止まって自分らしいキチキチっとした字になってくる。墨も何度も付けることなく何文字も書けるようになってくる。十五分もしたら足のしびれは感覚が無くなって全く気にならなくなる。どんどん書く。筆の入り、止め、はね、払いのリズムを大切に。

もっともっと字を書くことだけに集中できるものだと思っていたが、リズムも出てきて集中すればするほど色々なことが心に思い浮かぶ。特に過去のことが。過去の自分の「行い」が。「あの時…」と思う出来事が時系列とは関係なく思い出される。でもそこにはなんの感情もなく、まるでその時を「撮影」していたかのように淡々と流れる。でもただひたすらリズムを意識して字を書く。

昔から字を書くことが好きだった。社会の授業では、先生が書いた時の中から気に入った字を何度も何度もノートに書いて練習した。道徳の授業を教えてくれた校長先生の達筆に憧れ、国語の担任の達筆にも憧れ、社会のノートは漢字で埋まっていた。でも、字を書くことだけにこれだけ集中して書いたことはこれが始めてだろう。ただひたすら書く。上図に書けるようにリズムを大切にひたすら書く。

最後は疲れが出てきた。別に時間制限があるわけでもないし一度立ち上がって一息入れてもよかったのだろうけど、最後まで一気にやる、と決めていたから最後は意識しないと集中していられなくなってきた。でも、「あと三行しかない、あと二行、もう最後の一行…。もっと続きがあればいいのに…」と思うと集中できた。回復したというか。

「願い」は決めていた。「写経したい、する」と決めた時から。それが「写経したい」と思った動機だから。最後に「謹書」と書き筆を置いた。

IMG_4395

フーっと深く深く深呼吸をして足を崩そうとしたら動かなかった…。体を傾けて手をつき、手で足を伸ばさないと足は動かなかった。自分の足とは思えぬほど感覚なく、足首も両手で曲げてほぐさないと全く自力で動かせなかった。立ち上がるのに 10 分はかかった。柱にすがりながら立ち上がってアキレス腱を伸ばしたり。柱につかまりながら一人で歩けることを確認してからでないと歩きだせなかった。

一人で歩けることを確認してお庭に出てみた。

それほど広くはないが、手入れの行き届いた見事なお庭に生える楓。渡り廊下で深呼吸をするとお香の香りが気持ちいい。達成感や清々しさは特にない。しいて表現するなら「落ち着いた感じ」「自分を客観的に直視できる感じ」もっと言えば「冷めた感じ」。まだ終わったばかりだけど「また写経やりたい」と思えるのが不思議。「もっと字書きたい」って感じ。

最後に写経に使った台紙と写経した半紙を四十七士像の前にある事務所へ持って行くとお茶とお菓子を振舞われた。

IMG_4406

お茶をいただきながら、法住寺の紹介を淡々としてくれた(黒木瞳に似た人)。

最後に朱印をもらう。朱印の紙ではなく「次」への決意と共に朱印帳を買ってそこに書いてもらった。

(東京へ帰ってきてから写真撮ったから Mac の上)

法住寺のページに書いてあったが、朱印はお経を納めて始めてもらえるもので、参拝したらもらえるものではないらしい。そう言った意味でこの朱印は本物だ。納めたお経は祈祷されて不動明王の足元に納められ、お経が自分の分身としてお不動様に守られるとか。自分は「守ってほしい」とは思わないが、自分と関わる人達が自分側として守られることを願う。

さて、朱印を鞄にしまって帰ろうとしたら、ふと気になるパンフレットがあった。

写経したお堂でヨガやるらしい。お寺でヨガ?と思ってそのパンフレットを一枚もらって帰ることにした。「他でも写経あるはずだから探してみなよ」と言ってくれた人がヨガの先生をやっているからだ。帰ったら「お寺でヨガってその世界では一般的なの?」と確認したかったのだ。帰ってきて聞いてみたら、「お寺でヨガ」ってけっこうあるらしい。お寺という環境は、荘厳な雰囲気、お香のにおい、そしてヨガ。確かに瞑想する環境には最適そうだ。法住寺のサイトにもその様子が載っていたがそれが凄い。

満月ヨガの雰囲気半端じゃない!ろうそくの火が雰囲気をすごく出している。見ているだけで瞑想しちゃいそう。「心落ち着く秋に・・・」は、読経・写経の後にヨガ、その後精進料理。このコースなら私も…と思ったが、ヨガなんかやったら筋裂けるから無理だな。「読経・写経→座禅→精進料理」ならやりたい。

これまで書いてきた数々の blog の中で最も長い投稿になっているのは間違えない。もうここらで終わりにしたいがもう少し続きがある。

仕事の関係でとてもお世話になっている書道の先生に写経を写メした。書道家が私の今の字をどう読むか?を聞いてみたかったから。(高校の時の書道の先生も有名な先生で、私の書いた字をいちいち品評していたのを思い出す。「器用で頭もいい。だが性格がきつくてツメが甘い」と言われていたものだ。)さすがに書道家。何も説明しなくても最初の手の震えはもちろん、最後の疲れまでも読み取ってしまった。最後に「意志がしっかりある字」と評してくれた。私のこの「写経」に臨んだ「気持ち」をも読み取ってくれた。さすがだ。そして感謝。

こんな私の「写経したい!」という簡単で単純な思いつきすら一人ではできなかったかもしれない。いや間違えなく出来なかっただろう。でも「あるはず、できるはず」と言ってくれる人がいて、「意思」を読み取ってくれる人がいる。結局、誰かに支えられてる。たった「写経」1つとっても。京都出張だって人から与えられたチャンスだった。いや逆だ。京都出張のチャンスがあったからこそ「写経」を思いついたのだった。

そんな人達に深い感謝とともに、身代わり不動尊様にはその人達をお守りくださいと祈りつつ、さらに「次も京都で写経したい!」と強く願いつつ、この投稿の筆を置くことにする。

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Written by arito

2015-12-13 @ 13:30

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  1. […] ひとつ前の投稿「法住寺」で写経したことを書いたが、法住寺へ写経する場所に選んだ1つの理由は三十三間堂の横にあって、写経が終わったら三十三間堂も参拝できるからだ。で行ってきた。 […]

  2. […] ちなみに、不動明王と迷った理由は、一度「写経」をしたことがあるのだが、三十三間堂の隣の「法住寺」というところで、そこが思いの外、というか、ものすごく静かで良いところで、初めての写経だったが何故か心洗われた想いが強く、その法住寺の本尊が不動明王だからだ。私の書いた写経はその不動明王の下に私の「身代わり」として納められている。私は不動明王に守られているのだ。 […]


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