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「最古の魔術書」シリーズ

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「最古の魔術書」シリーズの最終巻が年末に出版されていた。第一巻、第二巻を読んだのはもう二年くらい前だった。前巻の内容を覚えたいなかったのであまり気の進まないまま読み始めたのだが、半分くらい読み進める頃にはもう前巻の内容を覚えていなくても、第三巻の内容にのめり込んでしまっていた。

最終巻の第三巻は、三姉弟の一番下のエマを中心とした物語と言っていい。また、長女のケイトの引き裂かれるような切ない物語でもある。

この物語の言わんとする所は「愛」だ。色々な「愛」だが、それは「人から愛される」方向ではなく、それが実ろうが実るまいが「自分が誰かを愛したことがあるか?」という人を愛する「愛」だ。

かつてケイトが「レイフを愛しなさい」と言われた。言われなくても二人は自然と愛しあうようになるが、それが最後の決定的な決まり手となる。歴代のダイア・ナグヌスは誰かを愛したことなどないが、レイフだけは違うのだから。

レイフとケイトの別れはとても静かに表現されている。余計な表現は全くなく、ただただ切なく離してはいけない手を眠ってしまって離してしまうように。そして眠りから覚めた時にはもうその温かい手を握ることはできない。握り返してくれることはない…。

それから、エマがレコニング(審判)を決めるのだが、そのシーンは何故か泣けてくる。自分のことをどんな時も何よりも愛してくれたガブリエルさんを思うエマ。その「思い」からエマは最後にレコニングに言う。「誰かを愛したことがありますか?」それが「レコニング=審判」になる。そしてエマはレコニングに言われるようにそれを「解きはなつ」。死者はその審判によって解き放たれる。あるものはかつて「愛した人」を思い出しその人を探しに行く。一方誰も愛したことのない死者は「愛した記憶」がないので抜け殻のまま。レコニングは「愛した記憶」を「解き放った」のだ。

しかし、エマは死者の世界になぜ大好きなガブリエルさんが助けに来てくれたのか?を悟ることになる。そして兄に言ってファイアー・クロニクルで生き返らせることが正しい選択ではないことを。この部分はハリー・ポッターの「吟遊詩人ビードルの物語」を思い出さずにはいられない。愛する人を生き返らせるために「蘇りの石」を使った結末を。

最後にエマが言う。

あたしね、死者たちに記憶を返せば、なにもかもうまくいくと思ってたんだ。だけど、それでなにかが変わるわけじゃないんだよね。少なくとも、まだ生きているあいだは。やっぱり、いっくら愛していた人でも、死んじゃうんだし。やっぱり、大好きな人たちを失うことになるんだし。

でね、あたし、わかったんだ。いつかはおしまいになると思っても、人を愛するのはいいことだって。自分がいつか死んでも、愛する人たちが死んでも、自分が遠くに行って、二度と愛する人たちに会えなくても。だって、それが生きるってことだもの。それが生きることの意味なんだもの。誰かを愛するってことが。

そう思わない?

誰かを愛しが事がある人は、死者の世界に行っても、その愛した記憶は残るとしたら、そんなステキなことはないだろう。死者の世界で愛した人を探し、会うことが出来るのなら、そんなステキなことはないだろう。それが信じられるなら「死」への恐怖もなくなるだろう。「死」を別の世界へ迎えに来る「友」のように思えるかもしれない。

この最終巻は大人が読んでも心震わせられることだろう。

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